【チョコレートの歴史】カカオの広がりと飲み物だったチョコレートのお話



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ショコラティエール(チョコレートポット)

このページでは、チョコレートの歴史…カカオ豆の伝播と共に、カカオがどのように人類に関わり、どのように使われてきたか、チョコレートがまだ飲み物だった時代について解説します。

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チョコレートの起源 メソアメリカ時代

チョコレートの歴史は紀元前

オルメカ族が人類初のカカオ利用を始めてから、その後長きにわたって、古代メソアメリカ人の生活と共にありました。

テオティワカン

テオティワカンの壁画 photo by Kioma

そして、1300年ごろから栄えたアステカ文明でも変わらず重宝され、貨幣の代わりに税をカカオ豆で納める地域も。

当時、カカオ豆100粒と奴隷1人が交換されていたというほどの貴重品で、そのほか、神々への捧げもの万能薬としても使われていました。

*2018年、専門誌「コミュニケーションズ・バイオロジー」に、カカオが初めて栽培植物となった場所はメソアメリカではなかったという新たな説が掲載されました。気になる方は検索してみて!

苦くて高価な飲み物「チョコラトル(カカワトル)」

そんな風に様々な用途で使われていたカカオ豆ですが、もちろん、一番多く利用されていたのは食用として、です。

最初こそ生食が主流だったと考えれていますが、偶然にも、焙煎した時の特別な芳香が発見され、以降、それを石板、専用の棒ですり潰してペースト化したモノを水(お湯の時代も)に溶かした「チョコラトル(カカワトル=カカオの水)」という飲料としての楽しみ方が主流なりました。

チョコラトルとは

「チョコラトル」には、トウモロコシの粉、バニラや唐辛子などのスパイス、アチョテ(食紅のようなモノ)や花弁…などが混ぜられ、日本の抹茶のように空気を多く入れ泡立てて飲んでいたそうです。

当然、砂糖は入っておらず、今のホットチョコレートなどとは比べ物にならない味だったと考えられています。

ただし、その健康効果も相まって大変貴重なものには変わりなく、「チョコラトル」は、王侯貴族、戦士、商人などの特権階級に限られた嗜好品でした。

まずはスペインへ伝わったカカオ

さて、何世紀にもわたってごく一部の地域で用いられていたカカオですが、16世紀(1500年代)に変化が訪れます。

1502年、クリストファー・コロンブスがヨーロッパ人として初めてカカオに出会います。

そして、1521年フェルナン・コルテスという人がアステカを侵略し、1528年スペインにカカオ豆を持ち帰ります。これがカカオのヨーロッパ初到来だと言われています。(1544年マヤ人が持ち込んだのが初という説もあります。)

スペイン人の手で「チョコラトル」が美味しく変化

そんな風にしてスペインに伝わったカカオ。

しばらくは、スペインでもアステカ流の飲み方で楽しまれたようですが、そのうち、スペイン人の嗜好、文化や食材、技術が融合し、次第に所謂「ホットチョコレート」へと形を変えていきます。

一番大きなポイントは、砂糖を追加温める処理で、美味しく飲みやすくなったこと。

その他、スパイスもヨーロッパ流にシナモンやアニス、黒胡椒が使われたり、また、泡立て方に関しても撹拌用の木の棒モリニーニョ)が用いられるなどいくつかの変化が。

ホットチョコレート用撹拌棒 モリニーニョ

こうして、(メソアメリカ時代と同じく、富裕層の飲み物としてではありますが)スペインでもカカオ文化が人々に広まっていきました。

断食中の修行僧にも愛飲されていたようです。

スペインからヨーロッパ各国へ

約百年の間、王室の命(めい)により門外不出としてスペインで独占されていたカカオですが、17世紀(1600年代)ごろからヨーロッパ各国へと徐々に広がっていきます。

そのキッカケは…、

ルイ14世

ルイ14世騎馬像 photo by Dunhill

1.まず、スペイン宮廷に出入りしていたイタリア人商人アントニオ・カルレッティがイタリアに伝えます。
2.その10年ほど後、チョコレート愛飲家だったスペイン国王の娘アンヌ・ド・オートリッシュがフランス国王ルイ13世と結婚
3.続くルイ14世にも、同じくスペイン国王の娘マリア・テレサがチョコレート職人を連れて嫁いだことで、フランスにもカカオ文化が流出。

たちまち、貴族の間に広まります。

ショコラティエール(チョコレート専用ポット)

上記2つの婚姻によって、フランス宮廷に浸透したホットチョコレート。

その流行から、取っ手の付いた専用のカップやチョコレートポットも同じく普及します。

ショコラティエール(チョコレートポット)

特に、「ショコラティエール」と呼ばれる専用ポットは、前述の撹拌用棒を入れるための穴が蓋に開いている特別な仕様。

ショコラティエール(チョコレートポット)

銀、銅、磁器製などで、さまざまな装飾がされているものも多く当時を思わせます。

庶民への浸透

そしてそれを追うようにして、カカオ文化はイギリスにも上陸します。

イギリスでのカカオの広まり方は、上記スペインやフランスとは違い、共和制を背景に、初期から庶民にも手が届くものとして普及しました。

また、市民階級の台頭、1650年ごろから当時の社交場であった「コーヒーハウス」「チョコレートハウス」の流行も手伝って、消費量も増加。

それを後押しするように、1693年にはフランスでもカカオ取引やチョコレート販売の自由化が始まります。

1745年に描かれた、スイス画家リオタールによる「チョコレートガール」は、カカオが庶民にも浸透したことを表す有名な絵画です。

1745年 チョコレートガール

…以上のような経緯をたどり、ヨーロッパ各国で、カカオの食品的価値が高まっていきました。

参考にさせてもらった本たち

チョコレートの事典―世界中で愛されるチョコレートのすべて
チョコレート検定 公式テキスト 2020年版
チョコレート検定 公式テキスト
ショコラ・ランキング―おいしいしあわせちょっと贅沢
チョコレートの手引